日本語が崩れてきた、とか嘆く不毛な輩とwikipedia

的はずれな指摘

良く、最近の日本が崩れてきたとかいう声を聞く。ら抜き言葉、実はこの四文字熟語の本来の意味は・・・最近の若い子たちの言葉遣いは、うんぬんかんぬん。

わたし聞きたい。現代の言葉って古代からずれてないの?と

はっきり言いましょう。

「古文」

大学受験の時にだけ習う不毛な学問。皆さんそれは知ってますよね?

ではあの時代に生きていた人たちの正確な口語は分かりませんが、いわゆる古文調?だったのではないのですか?

だとしたら現代の言葉なんて全て昔の人からすれば全て言葉崩れてますやん!と。

いや、実は古文の時代の口語と今の時代の口語は実はそんなに大きく違いがない、とか揚げ足取る輩が出てきそうだが、そんなのは本当にどうでもいい話で。

自分自身のちっぽけな正義感のために

なぜ日本語が崩れている、とか指摘するのか?

この根っこを探っていくと、恐らくそうした指摘をする人間は自分の価値観に合わない、ちっぽけな正義感を振りかざしているだけなんですよね。

恐らく、その人は他の人に比べて、日本語の正確な意味、そうした事に対する情報量が多いんですね。そして、その情報量の中からそれが足りない人に対して誤りを指摘するだけなんですよ。

大嫌いな言葉の一つが「常識」という言葉。こんなものはそこに集まった人の知識量・情報量によって

変動するものなのに、誰かが知識が足りないとするとさも常識が足りない、常識でしょ?というような事を言い出す。

結局は自分自身が「こうあるべき」というべき論を人に押し付けているだけなんですよね。

そしてなぜwikipedia?

そしてタイトルの最後にナゼWikipediaがくっついているのか?

例えばアカデミックの場でリファレンスにWikipediaは使えない。大学教授もこぞってWikipediaはリファレンスに使えないぞ、と言う。

恐らくレポートをクロールするソフトもその辺を検出するだろう。

しかしながら実際の所のWikipediaの情報の正確性はどうだろうか?実際に正確なものも多くは無いだろうか?そして、仮にWikipediaの情報が間違っていたとしてもそれが多くの人に触れてそれが正確な情報だとして認識された場合、それが結果的に事実として世の中には広まっていく訳だ。

なので、今の時代、もうWikipediaをリファレンスに使えないのはナンセンスだし、そんなことよりWikipediaの情報をより正確にしていく努力をした方が世のためになると思うんですよね。

どちらにせよ数年後には大学のレポートのリファレンスにWikipediaが認められる時代が来るでしょう。もう認めてる大学もあるのかな?

まとめてみると

まとめて考えてみると、結局現代の口語も、共通で認識する人が多ければそれが一般的な言葉になってくるし、ということです。

Wikipediaの情報もそれを正しいと思う人が多ければそれが正しい情報として世の中に流通する訳です。

本来の意味、ということとは無関係にです。

言葉とか常識なんて言うものは変化していくものなのに、結局変化を恐れる人間がそれを拒否しているだけの構造なのかも知れません。

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