スポーツを嫌いになる子供を作らない

今、バチっと自分のミッションが言語化出来て決まった。
「スポーツを嫌いになる子供を作らない」

クソみたいな指導者を指導現場から撲滅することをミッションと掲げてきたが、それって実際の本意は何なの?ということで考えてみたらすっと上記が浮かんできた。

例として少年サッカーのコーチとかで、会社でも家でも窓際のようなおっさんがそのストレス発散のために怒鳴っているような現場は撲滅したい。そういう指導者に全員レッドカードを出したい。
そしてその目的はスポーツ(その競技)を嫌いになる子供を作らないためで、適切な指導を受けさせてあげたい、という重い体。想いからだ。

知的労働者の集団にいると、どうも体育会系の人間は脳みそ筋肉のようだったり、ノリが受け付けられないような事を言われてしまう事もゼロでは無いのだが、知性あふれる人は体育会系の人にも少なくない。マッスル北村とかマジですごい。
逆に、三島由紀夫のように文筆家から最終的には肉体の鍛錬に没頭していく(松本人志とかもそうなのかも知れない)人も少なくない

自分としては文化的活動とスポーツは対立構造ではなく容易に両立しうるものと考えている。


スポーツを毛嫌いすることの根源的な理由ってなんなのか?
恐らくだが、小中学校くらいの足の速さだったりする。とにかく小学生なんかは足が速かったらヒーローだ。
毛嫌いするような人の中にはこれが遅かった人が少なくないのでは?

誤解なきようにしておきたいが、私も遅かった。高校まで遅かった。大学時には一生懸命体を作ったので50mを6秒真ん中か前半くらいで走っていたし1500mを5分切るくらいで走ってた。超速い訳ではないけど、すごく遅いわけでもない。でもそれくらいまでは自分の努力でもっていけるということ。(余談だけど、大学は体は出来てたのにテニスは一向に勝てなかった。もちろん要因はあるんだけど)

言いたいことは、これは後天的に獲得した能力ということ。
小学生くらいだと先天的な才能だけで走ってるわけだけど、それだけで評価されてしまっている。そりゃ遅くて女子にもモテなければスポーツ嫌いになっていきますよ。

ここで自転車理論(今度書く)が出てくるんだけど、逆上がりできる人出来ない人、学校の授業の中だけで決まってしまう。非常にもったいない。

ここが上手く行くとスポーツ好きな人増えるのでは?とも思う。

そしてこれって勉強にも同じことが言えると思っている。数学嫌いな人は大体中学2年生の時の数学の先生が嫌いだったりみたいなデータがあったり無かったりするようなのだけど、その頃につまづいて苦手になっている人は多いだろうなと思う。

今、仕事では学校教育や、学びを諦めない人とかが周囲にいるんだけど彼らが目指している事と同じなのかも知れない。それを自分はスポーツでやろうとしているのだと。

スポーツの原意は「楽しむこと」
もちろん、勝ち負けも醍醐味。だけれどもスポーツを楽しめる人が増えて裾野が広がるのが第一かなと思う。
今の日本では餓死することはまずない。余暇の時間は増えて、エンターテインメントはその余暇時間をスマホというライバルと取り合っている。
余暇時間で体を動かすポーツという選択肢も増えたら、と思う。(e-sportsというのもあるんだけどね)

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