最近のイスラム国(ISIS/ISIL)とか後藤健二さんのこととか

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湯川遥菜さんに続いて後藤健二さんもイスラム国の犠牲になってしまった。

心からご冥福をお祈りしたい。(って書くけど実際には知らない人なのでこれほど白々しい事は無いと自分では思うのだけど・・・)

 

難しい問題なので、せっかくだからちゃんと考えてみた。

大それたことをした 湯川さんと 後藤記者|デヴィ夫人オフィシャルブログ「デヴィの独り言 独断と偏見」by Ameba.

いま日本人がすべき6つのこと|長谷川豊

イスラム国事件 高村氏、後藤さんは「蛮勇」 渡航自粛すべきだった (産経新聞) – Yahoo!ニュース

 

個人的な結論を先に述べると、この高村氏の「蛮勇」というのが最もしっくり来るし、一番近い意見です。

結果的に、自分で尻を拭けずに国際的な問題まで発展させた事は覆らない事実なので、これは個人の判断ミスにより周囲に多大な迷惑を掛けてしまったという事です。

行くべきでは無かった、のではないかと。対応の不備はあれど然るべき機関に協力を要請するべきではなかったかと思います。

以前、マンガか何かでありんこが象に立ち向かうのは勇気では無い、蛮勇と読んだ事がある。

確かに真の勇気では無かったかも知れない。

真偽が分からない

実際の所、真偽が分からない。ネットのデマレベルでは・・・

・二人は死んでいないでアルゼンチンに住んでいる、だとか

・武器商として湯川さんを裏で操っていたのは後藤さんで、多額の保険金をかけていた、だとか

・後藤さんの育ての親は会見を拒否していたのに、生みの親が出てきて訳分からないこと言った、だとか

だから、結局の所限られた情報から自分自身が見聞きして判断を下さなければならない。

だってもしかすると誰一人として確実な情報を得ている人はいないかも知れないのだから。

と、すると自分なりに解釈して物事に結論付ける他無いのですね。こういう時には自分の頭で考える事が大切ですよね。

ジャーナリズムとは?

ジャーナリストとして伝えなければいけない事実がある。

それは確かに存在するのだと思う。

ただ、今日本のお茶の間にいるTVを見ている視聴者がそれを求めているのか?

もしその需要が無いのであればただの自己満足で終わってしまうのではないか。命を賭して、火急的速やかに伝えるべき事実がそこにはあるのか?

今日本にある天下り組織とか、意味の無い公共事業とか、そういうものをすっぱ抜いた方がよほど意味があるのではないかと個人的には思う。

それじゃTVの視聴率が取れないから売れない情報なのかなぁ・・・

命の価値とは? 

今回の件はすごく乱暴に言うと、2人死んだだけだ。(周りの国々に迷惑をかけているのは国際的にも非常に問題なんだけれど。)

とか思えば19歳の優秀だったであろう名古屋大学の学生がおばちゃんを殺したり。

ちょっと前には佐世保の高校生の同級生殺害もありましたね。あれはお父さんも自殺しちゃったから犠牲者は結果的に2人に。

もうこれこそもう何だか訳が分からない。

問題のすり替えのように言われるかも知れないけど、世界中を騒がせた2人の命と、すごく身近に本当に起きた理解出来ない殺人で失われた1人の命。

そうこうしている日々の1秒で失われていくアフリカの多くの命。何なんでしょうね?

命の値段は決して平等では無い。しかも変動相場制だ。

自分が安倍首相だったら?

良くありがちな、安倍首相はその場面だったらこうするべきだった、何もしていないんじゃないか?とか結果に対して非難する人がいる。

(以前、911の時にブッシュが小学校かどこかでフリーズしている姿なんかを思い出した。)

で、こういうのは出た結果に対してあーすれば良かった、こーすれば良かった、とか語るだけ本当に不毛だと思う。だったらお前やってみろや、と。

そりゃ国家のトップたちが必死になってあれこれ動いたんだろうし、誰一人サボった人はいないでしょう。

万人が納得する決断などありません。でも決断は重要です。スピードも。そしてその決断を後から責める事が最も簡単。

大切な事は適切な反省はした上で再発を防ぐ事だと思います。

大きな犠牲は払った訳ですが、日本政府は身代金を払わなかったり、政府としての姿勢は示したはずで、それは我々も理解しないといけないといけないですね。

決して助けてくれない訳では無いが、国際社会においては日本政府はこうした決断をする、と。

誹謗中傷合戦をしない

こういう時は皆こぞって日本を代表するコメンテーターになってしまうのがネットの怖い所。

一番不毛なのは、自分を含めた外野同士で誹謗中傷し合う、とか言う事だと思うんですね。

はっきり言って今回の事件に直接的に関与している人の方が少ない訳で、そこで揉めるってのは・・・

必ず異なった意見というものは出てくるので、その是非を問う事自体が不毛であり、議論の中から多様性を見つける事だと思います。

結局宗教の対立とか人間の対立というのは多様性を受け入れられないから起こる訳で、自分以外の意見を受け入れられなければそれこそイスラム国と一緒な訳で。

まあ願わくばデマとかを垂れ流す事は辞めて欲しいな、と思いますけど。

イスラム教徒に対して

実際、教義を詳しく知っている訳では無いです。けれど、教義の真意は何なのだろうか?

イスラム教は危険、と決めつけるのは非常に怖い事であると思うし、もちろん、イスラム教徒を迫害してもいけないと思います。

実はイスラム教徒が一番多いのはインドネシアなんだけれど、過激派とかテロという話はあまり聞かない。イスラム教=過激派では決してない。

一部の人間たちによって捻じ曲げられてしまっている事も理解しないといけないですね。

日本は宗教には寛容なので、一つの宗教に対して大変な思い入れ(言い方悪いけど、狂信的)を持つ事が少ない。

だからこそ、宗教に対しての狂信的な行動が理解できなかったりする。(余談ですが、神風特攻隊は海外ではテロと言われたりするんですよ?)

ただ、そういう考えを持つ人たちは厳然と存在する訳です。

価値観の違い、これを認識できるかどうかがカギなのだと思います。

例えば宗教が違う、というのはこれは「赤」です、と自分が思っているものが違う人から見ると「青」に見える訳です。

この「違い」というものがある前提での相互理解が必要な訳だけど、これを受け入れらない人が多いような気もします。

個人的には宗教を後天的に入信した場合は本当に自由だと思うのですが、生まれながらにして決めつけられてしまうのは若干不幸だな、とは思っています。

選択の自由があった上で、というものと、強制を伴うものは意味合いが大きく異なると思うんですよね。

過激なイスラム教徒は脱北者にでも話を聞いてみるといいのかも知れない。

自国認識を見直す

今回の出来事を経て、日本人は行動を変えない事が重要、という論調も目にしました。

基本的にはそれで問題ないと思いますが、危機意識みたいなものはもう少し変えてもいいのかな、と思いました。

良く海外の人は日本人は無防備だ、といいます。自動販売機なんかその象徴のようなものです。確かに治安もいいですからね。

ただ、先日ジョギングしてたら大学生くらいの女の子が道端で財布をガバッと広げてレシートか何かを見ながら歩いていた。

流石に危ないんじゃないかなーと思いました。

日本って面白くて、このように治安の良さに基づいた危機意識の無さと、個人情報保護のように必要以上に過敏に反応するものが両立している。

なので、危機意識を持つ、という事と併せて日本人って海外から見ると異質に見られている、という事も認識してもいいかも知れない。

つまり自分たちの常識、というのは非常に狭いこの島国でしか通用しないのかも知れない、という。

日本にいる日本人は自分たちの常識を疑う事は無いですからね。テロの標的にされるとか言われているので、危機意識を高めるとともに自国認識を見直してもいいかも知れませんね。

 

という事でこうした幸か不幸かこうしたきっかけによって色々と考えさせられる事になったので、各人が色々と考えてみるといいのでは?

と、雪の降る街でふと思いました。

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