スポーツにおける良い指導者とは?

さて、大会観戦中に思ったことを述べていこうと思う。

足湯くそ熱かった。日焼けしたから更に痛い。
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良い指導者とは?ということについて。
ついでに考えてみた良い保護者とは?ということについても述べてみよう。

今回の女子サッカーを観て本当に色々と勉強になった。

まず良い指導者とは?という事から。

まあ試合を観ていると、試合中でも所構わず怒鳴っている監督も少なくなかった。
地域とか、学校とかのそういう指導者の方々がいるので、サッカー界が成り立っているのでそういう功労の意味はもちろんあるんだけど・・・

指導者の質、という事を考えなければいけないと思う。
生徒・選手は基本的に指導者を選ぶことは出来ないから、だからこそ指導者は本当に考えないといけない。

観ていて印象的だったのはまず、常盤木学園はベンチからそんなに無駄に声をかけない。監督がいなかったのもあるかも知れないけど。プレー中もずっと声を出し続けているようなチームもあるが、それもあまり無い。
ただ、対話はしっかりとしていた。もうこの時点でチーム作りの良さが垣間見られた。

そう、選手は自分自身で「考える」事が必要なのだ。自主性を育む事。

はっきり言って監督が怒鳴り続けているチームに大したチームはいない。
ひどい所は、恐らく会社でも家庭でもつまはじきにされているようなおっさんがここで威張ってるだけ(言い過ぎか・・・)というのもいた。

試合中にあれこれ指示を出されても覚えていないだろうし、そのように動ければ苦労しないわけで。そこで動けるために日々の積み重ねがある。
常盤木を観ていて思ったのは、まずは基本的な技術がしっかりと確立されていること。後は選手の自主性。これがスポーツ全般における原理原則かと思った。
スーパープレイとか職人芸はもちろん、更なる高みのレベルでは必要になってくるが、まずは絶対に基礎技術。

基礎技術が確立されることで、自分が思った時に思ったプレイが出来るようになる。後は選手たちがしっかりと考えてプレーをすればいい。
常盤木の子たちは基礎技術が出来ているので当たり前のように見えるプレーだけど、日々の鍛錬の賜物ですよ、あれは。

突き詰めて考えると監督っているのか?という問題にぶち当たるが、これは別の機会に考えてみよう。

テニスなんかでもそうだったが、監督がしゃしゃり出ていくような所は監督不在だともろい。選手も自分で考えられなくなる。
女子にはその傾向が強いように思われるので、思春期のスポーツって本当に難しいと思う。

結局の所、選手の人間性というかそういう部分を磨いて、基礎技術をつけて、自分で考えること、だ。
あれこれ口出しちゃう指導者はダメですね。
だから一流の選手を育てるためには一流の指導者の育成が急務なんでしょう、きっと。

姪っ子が所属していた都内のクラブチームなんか、試合中に監督から指示が出ると試合中でも止まって、ハイ!とか返事して聞かなきゃいけないみたい。
本当にアホだよね。

まだまだ全国のチームを見たわけでは無いが、恐らくガッチガチに厳しくやってるチームとか多いんでしょう。
女子なのにスポーツ刈りくらいにして上下関係ガッチガチでね。結局、こういうのが成り立つのって日本の教育(突き詰めると兵隊育成ね)が根っ子にあるのは間違いない。
ただ、そこからファンタジスタは生まれないですよ。もっともっと低い年齢で、すごい奴を生み出すためには日本の社会の仕組みは少し狭苦しい。

強いチームって結構自由。常盤木だって髪型とか自由。坊主とか極端に短くすると退学らしい。それも面白いけど。
賢い高校って結構校則が自由だったりする。それは自分たちの自主性で物事が秩序を持って動くのですよね。だから自由でいい。

所属しているコミュニティーのレベルが低いとルールを決めざるを得ない。法律も正に同様です。

で、良い指導者に関連しては同じように良い保護者とは?にも言える事で、これはまた別の機会に書いてみよう。
スポーツにおける良い保護者って?

なんか本格的なスポーツから遠ざかっていたけど、まあやっぱりスポーツは面白い。これから女子サッカーにはまってみよう。

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