日本の公教育は「ここがもったいない」! | 異質なものを受け入れ許容する

日本の公教育は「ここがもったいない」!

引用元: 日本の公教育は「ここがもったいない」! | 世界キャリア家族の子育て戦略 | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイト.

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グローバル化で大切なのは、異質なものを受け入れ許容するマインドセットだと思います。
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これが全てだと思う。

中学か大学だったか。異文化交流とは何か?という問いに「違いを知ること」と答えられている方がいて、当時はふむふむと思っていた。
が、今現在海外での生活も経て、正鵠を射るとは正にこのこと、と腑に落ちまくっている。

要は「違う」んです。国・宗教、全く違う。
その違いを理解して共存する事が異文化交流、今で言うとグローバル化なのだと思う。

日本人は「意見が違う=嫌い」という方程式が安易に成り立つように思われる。
議論は苦手で意見が食い違うと人格否定すらし出す。大多数の意見に流れやすい。

国・宗教が違えばそもそも共通認識であるはずの「常識」というものが通じない。
極端に言えば、我々が赤、というものが青と表現する人がいるという事だ。まあそんな事になるとあいつこれ明らかに赤なのに青とか言ってるぜ、頭おかしいぜ、なってしまう。しかも集団で結託して。
こんな所からいじめの構造も見て取れたりする訳だけど。

物事は論理で理解するべきだ。これはこれで長くなるので感情の理解と論理の理解で別に述べよう。
ただ、ほとんどの人にはそれを求めるのは難しいよね。

で、違いがある前提(ジェンダーとかも)で他者受容が出来れば不毛なやりとりは本当に減らせる。個人間でも国家間でも。
また、あまりにも常識に縛られるあまり起きている弊害なども多い。上記記事内にあるいじめられたら転校、とかもっと柔軟に出来たら救える人も多くなる。
こうした常識に関してもまた別にまとめよう。

何が言いたいか、というと感情での理解ばかりが進むので「誰が言うか」というポピュリズム政治に陥りがちになる。だからタレントがすぐに当選したりする。
「何を言うか」が本当は重要なんだよね。

人間は非の打ち所がない正論なんかを述べるとすぐに反発が出る。すぐに別の所の揚げ足を取りたがる。
でも、異なる意見を一旦受け入れる事が出来れば、その度量があれば、色々とスムーズになるんだよね。

意見が異なるからって嫌いにならない。
一旦受け入れる、そこから始まる議論もある。

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